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2009年9月 5日 (土)

ホントの言葉

咲き誇る庭園の花々も、必要だからとせっせと肥料を
与え過ぎると、やがてその美しさは去り、そのことに
よって病み衰えていきます。

その美しさを、美しいままに維持していこうとする
のなら、天候、土の状態、そして何よりその花々の、
いや、そのそれぞれの「花」の個性をつかむこと。

「いま水が欲しい」とその花からの伝言を感知し、
どのくらいの量が適切なのかと、逐一様子を観ながら
適切な分量を与える。

そうやって、美しい庭園は美しいまま維持されていく
のでしょう。

ものいわぬ花々。
しかし、ものいわないからこそ、維持する側の人々は
感覚を研ぎ澄まし、花のコトバを理解しようと努める。

その背景には、その花々を愛おしむ気持ち。
その気持ちと花々が深くつながる時に、「いま」と
いう、閃きにも似た感覚が芽生えてくるのかも。



しかし、いくら「いま」をつかめたからといって、
与える肥料が適切でなかったり、水が腐っていたと
すれば、花々はたちまちのうちに病み衰えます。

ただ与えるのでなく、その与えるものの

「質」「量」「中身」・・・etc

などの適切なことが、必要になります。

たとえ高級な肥料や高度に浄化された水を与えて
いても、その花の個性にそぐわないものであった
とすれば、、、行き着く結果はやはり病み衰える
ことになるのでしょう。

これは、人も同じ。

いま、その人に何が必要なのか?


「人は言葉があるのだから、聞けばいい」

と思われるでしょうけれど、本当に訴えたい何かを
言葉にできる人ならば、確かにそうです。

でも、そうでないから行動がチグハグになったり、
自己チューになって、頑なに自分を崩さなかったり、
どこかに痛みを出したりしてサインを出すのです。

それらサインの本質は何か?
それも「こうだ」と決めつけず、じっくりとその人を
観ていくことで、深い処から理解できるのでしょう。


人にはものいわぬ森羅万象のコトバを理解する能力が
備わっているのです。

そういう感覚を少し研ぎ澄ます意味でも、目の前の
その人の「ホントの言葉」と、つながってみましょう。

「ホントの言葉」がつかめたその時、意思の疎通も
スッと、川が流れゆくようにサラサラと伝わるように
なるものです。。

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コメント

人の心は花達より複雑です。人の心、気というものは、その日その時でこうも変わるものなのか!と思います。その時その人の奥深くにあるものを感じ、理解し一番良かれと思う事を言葉にしたり、行動に移したりしても、それがその人にそのまま伝わるかというと、それはまた別です。相手のその時のその気持ちにピッタリ合った時、心と心はスーと溶け合います。でも気は流れるものだから、それが永遠に理解し合えるかというと、悲しいことにそうではありません。なんか恋愛と同じですね。片思いもそうだし、両想いもいつかチグハグしてきて、言葉は虚しくなり、理解したいし、されたいのに、どう表現したいいのかわからなくなる感じ。。。

投稿: 関 | 2009年9月 5日 (土) 16時16分

沁みました・・・

ありがとうhappy01

こういう目線を忘れないように心がけますshine

投稿: ふじこ | 2009年9月 6日 (日) 13時30分

関さま

コメント、ありがとうございます。

そうですね。

複雑に絡んだ糸も、ほぐしていくと意外と
単純な混乱の積み重ねだったり。

複雑にしているのは、実はこちらの心だったり。。。

言葉の前にあるコトバ、、
言うは易し行うは難し。。

coldsweats01

投稿: 田村 | 2009年9月 7日 (月) 09時26分

ふじこさま


shineshineshine

投稿: 田村 | 2009年9月 7日 (月) 09時28分

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