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2009年9月

2009年9月25日 (金)

お化粧マインド

ボクはよく思います。
人は、つくづく「お化粧」が好きなんだな、と……。

「お化粧」といっても、いわゆるファンデーションなど
を女性が顔に塗るというソレではありません。


たとえば、体裁を繕うため
たとえば、自分にとって不利なその場をしのぐため
たとえば、自分の立場を有利にしたいため
たとえば、病気を重く見せたいため
たとえば、苦労していることを認めてもらいたいため
たとえば、仕事で楽をしたいため

……などなど。

このように、状況をできるだけ自分の思うような方向に
向かせたい場合、人は往々にして無意識に、あるいは
時や人によりて確信的に

自分に、もっといえばその心に「お化粧」を、します。


これはいい悪い、善悪、そういう概念抜きにして、人は
誰しも、こういう「お化粧」をするメカニズムを有して
います。


カッコよく見られたい
誠実に見られたい
男らしくみられたい
女らしく見られたい
優しく見られたい
ただ、愛されたい

こういう欲求は、誰しもあるもの。
このような欲求あるがゆえに、人は努力もし、頭も
使い、オシャレもします。
このような欲求あるがゆえに、ある意味で「文化」は
常に進歩というベクトルを持ち続けるのでしょう。


ただ、

この「お化粧」も、あまりに幾つも重なり過ぎると、また
あまりに「理想」という名のイマジネーションで厚く塗り
過ぎると、思わぬところで見られたくない部分をさらす
ことになります。



自分の影なる部分は、自分はおろか他人になど絶対に
見られたくはないもの、でしょう。

それがゆえに、いつも必死で「お化粧」をして、その
影なる部分に色をつける。

でも、この色は、ちょっとした隙に落ちてしまいます。
必死で隠そうとするその心は、実は脆く壊れやすいもの。
そんなにいつまでも、隠しておいてはくれません。

「〜でいたい」という欲求のもと、必死でがんばっていた
のに、ポロっとその影を表に出してしまった。

そうすると、その隠そうとする心は、慌てます。
ほとんどの場合、慌てて狼狽してしまいます。

そうすると、心全体は揺り動き、もともと内在していた
不安や恐れは、暴れ始めます。

どうにか、「○○である自分」を保とうと……。



誰にでも「欲」はありますよね?

ボクにしても、「いいセラピスト」「上手」「できる」
などの評価を受けたいという欲求は、ないワケでは
ありません。

こういう「欲」を満たし、他人から認められ、自分で
自分を納得させたい、褒めてあげたいがために、人は
自分の生きる分野で向上を目指し、努力するのでしょう。

そうしていくなかで、自然と「お化粧」は薄くなったり、
しなくなったりしてくる…事もあるでしょう。

でも、努力の方向が最適でなかったり、ただ苦しいだけで
実りもない期間が長く続いたりすると…人はやがて疲れ、
身も心も荒んでいきます。



もしいま、
あなたにそういう自覚があるのでしたら、



独りよがりの生き方を
怒りに流される生き方を
人を傷つけ自分も傷つくような生き方を

素直に率直に
見直す時期……なのかもしれません。









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2009年9月18日 (金)

2009・9・17 〈ナチュラルビューティー〉コラボ茶会  その1のご報告

3か月連続での

「ナチュラルビューティー」コラボ茶会shine


今回のこの連続講座はダイエット系ではありません。




「アウター」=外面
「インナー」=内面
「コンプリート」=それらの総合




と段階的な分類をして、その方の本来持つ可能性を
抑えているもの、停滞させているものを内外から
外していこう…というスタンス
notes



たとえば、今回の「アウター」=外面。

外面というと、すぐに「表面」「浅い」などのやや
軽く見た感じの連想が浮かぶ方は、決して少なくは
ないと思います。

また「ボディ」というと、どうしても「肉体」という
物質的側面のみにフューチャーしがち。
それも現代的風潮なのでしかたないといえばないのです
けれど……
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それで、今回「フェイスコンディショニング」

「顔」というのは、身体の中ではもっとも社会と直接触れあう
パーツ。
並ぶのは…「手」くらいかな。。。

そして、自身の内外の変化をもっとも大きく、時には微妙に
表現するパーツ。




☆唇は引き締まり
thunder
☆お目めはパッチリthunder
☆アゴのラインを引き締めて小顔にthunder


という3つのポイントにしぼってその変化をその場で
体感してもらい、その後継続させていくうえで役立つ
エクササイズをご指導させていただきました
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次回以降、更なる展開が待っておりますので、受講
いただいた皆様、またよろしくお願いいたします。


また、いつもながらお世話いただき、美味しいお茶を
出していただいておりますクロノさん
本当にいつも、ありがとうございますshine


さらに、御参加いただいたじゅんこさんのブログにも
記事アップされていますhappy02
次回もよろしくお願いいたしますshine

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2009年9月16日 (水)

子供の皮膚症状

皮膚にできる諸々の症状。
いろいろありますよね?

ニキビ、吹き出物、湿疹、乾燥肌、水虫、、、などから
アトピーや乾癬などの難病に分類されるものまで、実に
いろいろあります。

ボク自身、いまから…8〜9年前あたりは、相当皮膚に
症状を出してました。

またいつかこの頃のことを書く機会もあるかもしれま
せんが……けっこう大変だった記憶があります。




医学的な見方を参考にすれば、まず皮膚には外皮と内皮
があります。

身体の外側、通常イメージされる皮膚のことを外皮といい、
身体の内側、胃腸などの内臓を覆っている膜を、内皮と
いいます。

これらは別々のものでなく、発生源は同じ細胞。
ですので、当然のことながら連関しています。



均整や整体などの考え方では、皮膚は重要な排泄器官で
あり、内臓、とりわけ胃腸や肝臓などの消化器系や腎臓
などの泌尿器系との関係を考えます。

皮膚にできる諸々の症状は、体内でのさまざまな浄化が
何らかの影響で停滞していることから生じる……という
見方、をします。

また、呼吸器系や神経系との関係も深く、ストレスなど
心理面からの影響によって皮膚症状が出る、という見方
もします。


均整には「小児均整」というカテゴリーがあり、お子さん
に多い諸々の症状の調整手法は豊富に存在します。

そこでは、やはり肝臓を中心とした手法が紹介されて
います。

そのうちのひとつの文章。


「皮膚症状があると、右足の血液が鬱血状態となり、
 太く大きく感じる」


とあります。

体内で処理できない老廃物、つまり体内の毒から生じる
皮膚症状の場合、おそらくほとんどこういう感じになる
ことでしょう。

こうなっていた場合、「足湯」や「右の足首を回す」など
のセルフケアで、自然に経過する能力を高めておくとよい
ですね。

もちろん、慢性的な症状はそうカンタンではなく、その他
いろいろな場合がありますから一概にはいえませんけれど。

熱があれば、それをうまく引き出して体内の毒素を自分で
処理する能力を高めることも、できたりします。


まあ、なかなか難しいですが、丈夫な身体を形成するうえ
で、こういう考え方はけっこう役立つのではないか、と、
思って、、います。









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2009年9月14日 (月)

身体と心の関係 2

肘が伸びない。

このような悩みをもたれている方は、もしかしたら
けっこういるのかもしれません。

「肘が伸びない」=関節の問題。

普通、このように考えますし、確かに目で見える
現象としてはそうなります。

そして、肘そのものに何かしらのアプローチを
施すことで、それなりに伸びるようになる……
場合も、たくさんあります。

でも、それで伸びてこない場合も、実はたくさん
あるでしょう。。


たとえばボクは、幼少時からつい最近まで、肘を
まっすぐに伸ばすことはできませんでした。

日常に多大な影響がある訳ではないので、ことさら
大きなデメリットとしてとらえてはいませんでしたし、
幼い頃からですので、そのことに不快感を感じること
も、表面的な意識ではあまりありませんでした。

ただ、だからといって、デメリットがなかった訳では
ありません。

そして、肘と関連しているのですが、小学生くらいの
頃は、机でノートに何かを書く時は、常にノートが左に
捻れていました。

最初まっすぐにしていても、気づけばそうなってしまう。

たまにそういう子供を見かけることもあるでしょうけれど、
そういう場合、身体の捻れている側の上半身は緊張して
萎縮しています。

どこが萎縮しているのかといえば、筋肉、というよりは、
もっと奥深く。

その奥深くの影響で、身体はねじれ、肘は伸びないという
現象を導いている、、、、といえます。

左半身の萎縮、それも外的な筋肉ではなく、より奥深くの
萎縮は、臓器でいえば胃腸や心臓の働きに影響します。

胃腸がいつも緊張しているような身体であれば、精気に欠け
元気がなく、心配症な雰囲気を醸すでしょう。

そして心臓の影響は、いつもドキドキとした、どこか不安な、
そしてどこか恐怖感をまとわせるものです。

小学生時代のボクは、相当に萎縮傾向の強い子でした。

何かよくわからないけれど、すごく引っ込み思案で、いつも
人の後ろにいるような感じ、、の子ですね。

これらも、それまでの抑圧や幼少時のトラウマやらが影響
しているのでしょうけれど、、まあ、とりあえずそれは
どうでもいいことです。


ここでご理解いただきたいことは、

「身体の状態が心に反映される」

ということ、です。

そして、その身体が変化する、ということは、心の様相
そのものもまた変化する、、ということです。


いま現在のボクの肘は、ほぼ人並み程度に伸びるようには
なっています。

そうなって初めて、伸びなかった頃の自分の身体の様相を
理解するに至りました。

そして、身体の状態がどれだけ心の様相に影響するか、も
深い実感とともに理解することが、できています。





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2009年9月10日 (木)

身体と心の関係

心が身体に与える影響、、という面は、ここ最近で相当
クローズアップされてきた面もあります。

ただ、その表裏概念である、身体から心に与える影響、と
いうものも、確かに存在します。

たとえば、目を使い過ぎれば神経系は疲労する。
ここまでは普通に考えればわかりますね。

では、その目の疲労の影響によって、たとえばイライラしたり、
気分が、一時的にせよ深く沈んだり、、ということもあります。
あまりそれが「目の疲労」の影響と考えることもないとは
思いますが、、実際にそういうこともあります。

身体の状態で、あらぬ不安に襲われることもあれば、
変に意地を張ったり見栄を張ったり、イジワルになったり
することもあるのです。

これは、子供であっても、大人であっても同じです。

身体というのは、そういう意味では表現の場。
「いま」のその人を、端的に映し出します。

たとえば、左肩が上がっている。
それは、胃が緊張しているからなのか、肝臓の緊張の
影響で右側が縮み左が上がって見えるのか、心臓の影響
なのか、またまた首のゆがみなのか、腰のゆがみの影響
なのか……
胃が緊張しているとしたら、それは食べ物の影響なのか
上司からのプレッシャーの反映なのか、家庭事情による
心配からなのか……
子供であれば、学校で何かあったのか、何か隠し事をして
いてそれが胃の緊張として現れたのか……などなど、、。


自己を取り巻くあらゆる環境のなかで、相互に連動し、その
時々の有り様を映し出す心身のメカニズム。

驚きも悲しみも、怒りも憎しみも、そして愛も、、、。
すべては身体を通して実感されるものです。














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2009年9月 5日 (土)

ホントの言葉

咲き誇る庭園の花々も、必要だからとせっせと肥料を
与え過ぎると、やがてその美しさは去り、そのことに
よって病み衰えていきます。

その美しさを、美しいままに維持していこうとする
のなら、天候、土の状態、そして何よりその花々の、
いや、そのそれぞれの「花」の個性をつかむこと。

「いま水が欲しい」とその花からの伝言を感知し、
どのくらいの量が適切なのかと、逐一様子を観ながら
適切な分量を与える。

そうやって、美しい庭園は美しいまま維持されていく
のでしょう。

ものいわぬ花々。
しかし、ものいわないからこそ、維持する側の人々は
感覚を研ぎ澄まし、花のコトバを理解しようと努める。

その背景には、その花々を愛おしむ気持ち。
その気持ちと花々が深くつながる時に、「いま」と
いう、閃きにも似た感覚が芽生えてくるのかも。



しかし、いくら「いま」をつかめたからといって、
与える肥料が適切でなかったり、水が腐っていたと
すれば、花々はたちまちのうちに病み衰えます。

ただ与えるのでなく、その与えるものの

「質」「量」「中身」・・・etc

などの適切なことが、必要になります。

たとえ高級な肥料や高度に浄化された水を与えて
いても、その花の個性にそぐわないものであった
とすれば、、、行き着く結果はやはり病み衰える
ことになるのでしょう。

これは、人も同じ。

いま、その人に何が必要なのか?


「人は言葉があるのだから、聞けばいい」

と思われるでしょうけれど、本当に訴えたい何かを
言葉にできる人ならば、確かにそうです。

でも、そうでないから行動がチグハグになったり、
自己チューになって、頑なに自分を崩さなかったり、
どこかに痛みを出したりしてサインを出すのです。

それらサインの本質は何か?
それも「こうだ」と決めつけず、じっくりとその人を
観ていくことで、深い処から理解できるのでしょう。


人にはものいわぬ森羅万象のコトバを理解する能力が
備わっているのです。

そういう感覚を少し研ぎ澄ます意味でも、目の前の
その人の「ホントの言葉」と、つながってみましょう。

「ホントの言葉」がつかめたその時、意思の疎通も
スッと、川が流れゆくようにサラサラと伝わるように
なるものです。。

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2009年9月 4日 (金)

看板 その3

外に出している看板。
シンプルにしてみましたleo

写真クリックしてアップにしていただくとわかりますが、
月と太陽のランデブーsunmoon1

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ホームページ。

リニューアルに着手するのは、もうちょっと先に
なります・・・

煮詰めねばpenguin


その前に、来訪いただいた方々に渡せるような手書きの
「通信」のようなモノをと練っています。

本当はずっと以前から考えてはいたのですが、生来イラスト
やデザインなどに関しての自身のセンスのなさに愕然と
すること多々だったためshock、なかなか踏み出せず、、。

でもまあ、最近ではそういったメンタル要素もクリアに
なりhappy01、あとはその手間を惜しむか否かの問題に…coldsweats01



何にせよ

セッションスペースは、日々癒しの空間としての精妙さを
増していっています。

それは、目に見えるモノというよりは、皮膚感覚で感じる
レベル、あるいは更に精妙な、微細な波動のレベルで、、。

その精妙さは、今後更に加速していくこととなるでしょう。。






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2009年9月 3日 (木)

背骨の表情

「背骨」は、解剖学的、つまり学術的な見地から見れば、
ひとつひとつの「骨」であり、「物体」であり、人の身体
の土台となる「柱」である、といえるでしょう。

ただ、均整のように、その「背骨」を基盤に身体を捉える
メソッドからすれば、その観点だけでは少し足らない…
といえるかと思います。



生きた人間というのは、活動時はもちろん、たとえ眠って
いても呼吸をし、脈は打ち、細胞は常に入れ替わっています。

では、「背骨」に限らず骨全般、そのような活動はして
いないのか……といえばそんなことはなく、ごく当たり前に
呼吸の恩恵を受けているし、栄養を吸収もしますし、細胞は
いつも入れ替わっているのです。

「骨」イコール「硬い」イコール「変化しない」
と、なんとなく考えがちになるかもしれませんが、そんな事
はなく、他の身体器官同様、常に変化変容を遂げています。

その変化変容は一様ではなく、多様極まりありません。



「背骨」の役割というのは、何も身体の「柱」になることだけ
ではありません。

最近では、脳が全身のコントロールセンターであることはもはや
常識のようにいわれるようになりました。

では、その脳は、どのようにして全身に指令を発したり、あるいは
内臓などからの信号を受けたりするのか…というと、「背骨」を
中継して神経ネットワークを形成していることで、そういう役割を
担えているのです。

そういう意味で、身体の大黒柱は、「背骨」といえるでしょう。

そして、その「背骨」は、実にいろいろな表情があります。

イライラしている時は、そういう表情を
嬉しい時は、そういう表情を
悲しい時は、そういう表情を

如実に、表現します。

それも当然のことなのですが、たとえば東洋医学では肝臓や
心臓などの「五臓」が人の「感情」と密接に関連している
ことを明らかにしています。

たとえば、人はイライラしている時は、肝臓が硬くなります。
そうすると、その肝臓に関連した神経はそういう信号を受け
ることになります。
そういう信号を受ける神経と関連した「背骨」は、微妙では
ありますが、その影響でわずかにポジションが狂ったり、
周辺の筋肉を硬くしたりします。

つまり、内臓や脳とダイレクトにつながっている「背骨」は、
常にその影響で変化変容を遂げている、、ということです。

そういう常に変化変容する表情を、指先で触れて読んでいく。

ずっとこういう事をやっていると、とても骨を「物体」と
捉えるような観点は持てません。。


生きている身体。
やはり神秘に満ちています。。。。。




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