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2009年8月27日 (木)

病人と看病人

「病人と看病人」

これは、整体(通称・野口整体)創始者、故・野口晴哉先生の
潜在意識教育法に関する本のタイトル。

タイトルだけ見ると「どういたわればいいか」や具体的ケア
の手法など書いてあるとイメージされるかもしれませんね。

確かに、そういう部分もあります。
ですが、それを期待してこの本を読むと、、意表をつかれる
ことになるでしょうsad

「病人と看病人の問題ということは、とりもなおさず人間の
 潜在意識のコミュニケーション、心の伝わりあいの問題で
 ある」

という文から始まるこの本は、さまざまな「病人」の心理を
解き明かしています。

たとえば

「病気になると、早く病気を治して丈夫になろうとするけれ
 ども、どんな方法を講じても病人になっている人に効はない。
 『まだここが悪い』『まだここが妙だ』と、自分で自分の
 悪いところだけ数え、見せびらかして、そうして自分でも
 脅えている。
 本当に脅えないと真に迫らないのだから、その病気が恐ろしい
 と信ずることから始まる。
 病気を恐ろしいと思わない人は病人にはなれない。
 だから癌になったら死ぬものと自分で決めて、本当に驚き
 慌てていると、周りでかばってくれる。
 それが真に迫らないと、なかなか周囲を動かせないが、幸い癌
 だという証明書があれば病人を続けていられる。」

「糖尿病や結核の人も、体温やら尿の中の糖分やらを書き付けた
 グラフをお守りにしているが、そういうものを持っていないと
 信じられないくらい、元気になっているのに、そのお守りを
 見せて『この通りだ』というと、病人待遇をしてもらえる。
 そうすると、今度はその待遇が欲しくなって、治りそうに
 なると不摂生をする。
 すると医者を嘆く。『もう一息というところで不摂生をした』
 と。
 そうではなくて、もう一息で病人でなくなってしまう。
 それでは彼は困るのである。
 それを未練症状という。」

という、病人にとっては辛辣な、しかしその内側でおぼろげながら
自覚できるであろう論が縦横無尽に展開されています。

その論は「看病人」の側にもおよびます。

「この間も、Mさんの息子のKちゃんがハシカになった。
 ハシカは簡単な病気でたいしたこともなく通るのだが、 
 それで経過を聞いてみると、ともかく病人は大事にしさえすれば
 安全という考え方で看病してしまっている。

 ハシカというのは、寒い時になると発疹したものが引っ込んで
 しまうので、風に当てないように警戒する。
 ところが、昔から“ハシカは5月”といって5月が一番流行るが
 一番軽く済む。
 ちょうど暑からず寒からずで冷えない時期だから、経過が極めて 
 いい。
 そこで、5月のハシカは何もしないで通る。
 ところがMさんは、ハシカになったら蚊帳をつるということを
 講習に出てしっているので、今月のハシカなら蚊帳はいらないと
 言ったのに、それでも念のためにといって蚊帳に入れてしまった。
 ところが子供は「キリギリスみたいに、ボクをこんな中に入れた」と
 いって怒ったという。

 (中略)

 発疹してから蚊帳のなかに入れればいいのに、だいぶ前から入れて
 しまっている。
 だから、『親も一緒に入っていなさい』と言ったのだが、親は
 とても我慢ができない。
 それで、早くから入れてはいけないということがわかったと 
 言っていたが、そういう過保護の状態は何から起きるかというと、
 病人を看病しようとする場合に、良いことはやっておこう、悪く
 なるといけないから先回りしてやっておこうという心があって、 
 何か自分の心の不安を安心させるために、蚊帳をつったりして
 病人の不快なことを平気でやるのである。
 これは病人を看病していることだろうか。
 自分の心の看病をしているだけである。
 そのうえ、病人にその負担をかけていることに気がつかない。」

「話のわかる親父でありたい、叱言をいわないヒステリックでない
 お母さんでありたい、子供にそう見せようとして、ただやたらに
 褒め上げて叱らず、言うべきところを黙っている親が多くなって
 いるが、それも自分を売り込む看病人と同じである。

 だから、病気を看る看病人は最も良く、病人を看る看病人は次に
 良く、病人に看られようとする看病人は全く価値がない。」


と、引用長くなってしまいましたがcoldsweats01、複雑微妙な「病人と
看病人」の関係を掘り起こしています。

また、これは単に「病人と看病人」のみならず、たとえば親と子、
たとえば恋人関係、たとえばセラピストとクライアントの関係…
にもこの心の伝わりあいと、形成される心理というのは活かす
ことができるのではないでしょうか。

たとえば、子供が何かにつまづいて転んだとします。
それを、自分で立ち上がれるのに起こしてしまう。
それが続けば、起こしてもらわないことに、逆にその子は不平不満
を感じ、起こしてもらわないことを責めるようにもなってくる
でしょう。

よかれと思ってしていることが、かえって意図したことと反対の
心理を育んだり、負担を与えていたりすることもあるのですね。。

その子に自ら立ち上がってくる力を育ててもらいたいと、もし
願うのであれば、ここは静かに、そしてその中にも確かな愛を
持ちつつ「待つ」こと自体に、意味があるのかもしれません。


ボクも以前は、「改善されない」という方を前にして、トコトン
やってしまうこともしばしばありました。
それが「余計なお世話」だと知りつつも、目の前で改善されて
いない現実を前にして、焦りや不安に飲み込まれてしまうのですね。

また、「他人を救えている感覚」という、勘違いも甚だしい感覚に
悦に入っていた時期もありました。
これにより自分も気持ちよくなり、「人助け」でなく「自分助け」
をしていたような・・shock


そういう時期をへて「今」へとつながり、冷静にその頃を反省
することもできるようになりました。

結局は、自らの現実に目をつぶることなく、自らを育てていく
こと…なのでしょう、、ね。。



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TAMURATIC」カテゴリの記事

コメント

和魂と荒魂の関係みたいだな~と感じておりました。


ときには荒霊な母も必要ってことですねgood

投稿: ふじこ | 2009年8月28日 (金) 22時07分

ふじこさま

コメント、ありがとうございます。

ま、どっちもあって人ですねcatface

投稿: 田村 | 2009年8月29日 (土) 09時09分

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