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2009年1月17日 (土)

背く子 背かれる親

ここ最近、いわゆる「親子」関連の調整が増えている。

それは顕在化している場合もあれば、ご本人たちも
気づいていない場合も、ある。


往々にして、だいたい子供に何か不具合が起きている
場合は、何かしら親とのつながりが、観える。


「背く子 背かれる親」。
これは、知っている方にとってはいわずとしれた題名。
整体創始者、故・野口晴哉先生の潜在意識関連の著作
のタイトルである。

今日、久しぶりにその本を開いた。
いつ読んでも、その言葉は時に鋭く、時にじんわり心に
響いてくる。

それは単なる理屈や綺麗事ではなく、その根底に生きた
人間の営みの徹底した洞察が読みとれるからだろう。

たとえば、P.38の「親が子供に背いている場合」。


「『親の金を盗んだ。親の信頼を裏切った、背いた』と
 言っている人がおりましたが、親はたくさんお金が
 あって、子供は金がなくて、欲しい物がたくさんある
 としたならば、親に背いたというより、親を信頼した
 結果、親の金ならば親はあきらめるだろう、他人
 だったら罪になるが、親なら罪にもしまい、ということ
 になる。
 しかし、その親は『正直だと思っていた息子が、自分の
 金を盗んだ』と言うのです。
 『けれどもそれは別段背いたことにならない。他人の
 お金を盗んだら背いたかもしれないが、親の金を盗んだ
 のは、親を信頼しているからですよ』と、言いました。」

「今度は、高校生になる男の子が裸の女の写真をたくさん
 ベットの下に入れている。女の靴下やらいろんなものが
 突っ込んであったという親が来ました。
 ある時、掃除をしていてそれを見つけてびっくりして
 しまって、『いい息子だと信じていたのに背かれた」と
 言っていました。
 私が「それは成長が健全にいっている。つまりインポ
 テントではない。成長不完全状態ではない。もう高校生
 になって、正常な働きが育ってきたので、背いたとか、
 背かれるとかいう問題ではないではないか」と言ったら、
 すぐに話のわかった人もいます。
 ところがわからないで、背かれたと言って、すぐにその
 ことで息子を責めると意気込んでいる人もいます。
 叱って責めて、成長を抑えるようなことを考えていると
 したら、親が子に背いている状態ではないだろうか。」

ここで説かれていることは、いわゆる道義論では、ない。
そういう頭で構成された、「こちらの都合に従いなさい」的な
論理からすれば、確かに理解しにくい面もあるかもしれない。

たとえば「○○はするのが普通なんだから、しなさい」と強制
されると、誰だって窮屈さや違和感を覚えるだろう。
でも意外と、自分の子供には、それをやってたりする。

そのことに対して反発をその場で表現できる子供もいれば、
寝小便などの形で表現したりする子供も、いる。

その窮屈さを無意識では感じるものの、意識にはのぼらず
心の格納庫に収納するクセをつけてしまう子供も、いる。

格納庫に入りきれなくなったり、あるいはその格納庫を
開ける気力や体力が備わった場合に、起こす行動はまた
その子供自身を表現する。

「喧嘩には絶対に負けて帰ってくるな」と、昔よくある
タイプの育て方。
これを言う親にもいろいろなタイプがあるだろうけれど、
最悪なのは「俺がそうだったから、お前は当然そうしろ」
というタイプ。

その期待に応えられる気力や体力、またそういう感受性
のある子なら、それで伸びるのかもしれないけれど…。
(もちろん、道義論は抜きにして)

またその親が、いろいろな場合に適切なフォローを入れる
ことができるのなら、いいのかもしれないけれど…。


そうでない子には、残酷な期待、かもしれない。



ともあれ、時代がどのように移り変わろうとも、まず
このテーマが消えることは…ないように、思える。


「親」と「子」。

「背く」「背かれる」というのも過激な言い回しだけれど、
そこには深い意図が…見え隠れする、、な。。



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