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2008年12月22日 (月)

動く力

僕は、身体を整えることを生業としている。

しかし、経験を重ねるうちに、単に構造としての
身体に着目するだけでは、何かが違うと感じる
ようになった。

つまり、より「全体としての人間」そのものへと、
目を移動させていった、ということになるのだろうか。

だから時折、世でいうコーチングみたいなことも、
必要に応じて実践する場合もある。


 



便宜上、ここでは人を乗り物と例えてみる。

その乗り物は、車でも飛行機でも、かまわない。
ただその乗り物は、自動運転式ではなく、あくまでも
人が乗って動かす、文字どおりの「乗り物」。


通常乗り物は、人が動かさなければ、動かない。

どんなに高性能でも、
どんなに美しい形をしていても、
どんなに大きくても、

それを動かす「人」が存在して、はじめて乗り物と
しての用を為す。

乗り物がその用を為さない。
つまり、動かない、とする。

その動かぬ乗り物は、お飾りとして重宝される類いのモノ
であれば、それもいいのかもしれない。

しかしほとんどは、そうではない。

乗り物が、乗り物としての用を為さない。
であれば通常、その乗り物は、廃棄されるのが運命だろう。

ではその動かぬ乗り物に、仮に意思があるとしたら、
どうだろう。

動けぬことへの、無念。
動けぬことへの、不満。
動けぬことへの、怒り。
動けぬこちへの、恥ずかしさ。
動けぬことへの、諦観。

……これらが生じてくるのでは、ないだろうか。

本当は動きたいのに、動けない。
本当は動けるのに、動く方法がわからない。
本当は動けるのに、それを活かす場や人がいない。

……たぶん、そう考えること、だろう。

人も同様。
なれど、人の意思は、さらに複雑。

生じたネガティブな意思は、時として人を、あるいは
自分自身を傷つけることもある。


別の意味でも、人は複雑。

たとえ動ける状況であっても、動かない。
たとえ動く方法がわかっても、動かない。
たとえその場や人に恵まれていても、動かない。

それも事実。

では、それを「動かす」には?

ある人には優しい言葉が。
ある人には荒々しい行動が。
ある人には感情をゆさぶることが。
ある人にはその先にある夢が。
ある人には後ろから迫る脅威が。

その契機に、なる。

ある人が

「なぜ、そう感情にひっかかるようなことを…」

と、半ば抗議にも似た、それこそ「感情」を抑えた言い方で
僕に聞く。

その人は、客観的にみてある分野で、かなり才能に恵まれ
ている。
それを、本人も自覚はしている。
そして、本人もその世界で生きていく、意志もないではない。

でも、動けない。

いや、本質的にはただ動かないだけ、だった。

動かないことで、そのままその内側の火が鎮静してしまえば、
それはそれでいい。

でも、火はいつまでも燃えている……。


感情にひっかけるのは、その燃えさかる火を行動へと
つなげていくこと、になるだろう。

そうでなければ動けぬ人も、いるのだから。



その火は、ようやくその人を動かす原動力へと還元された。
どう歩んでいくのか……


どう歩んでも、歩まぬままの苦しみとは、ちがうだろう。















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