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2008年12月12日 (金)

癒しの側面

「癒しの仕事」、というと、一見

「人の感謝される」
「人のためになる」
「人を癒してあげられる」

というイメージが湧くかもしれない。

確かに、そういう側面はある。

しかしそれは、全面では、ない。



かくいう僕自身、最初はそのように思っていた。
頭の中では、カッコよく人の身体を操り、パッと
その悩みを解決してしまう。

…でもそれは、いうなれば全体の中の一部。
しかも、理想的な場面の、一部でしか、ない。



かつて、最初の師の処に、週一度勉強に通っていた時の事。

ある日

「田村君、出張に行ってきてくれ」

と言われた。

人を調整することに渇望していたその時期、すぐに

「はい!」

と現場へと向かった。

その方は、何度か先生の処でお見かけしたことがあった。
その当時のパッと見た印象は、「人の良いご老人」だった。

「あの人なら、大丈夫だろう」

そう思いながら、呼び鈴を押す。



あっちも痛い。
こっちも痛い。
そこも痛い。
あそこも痛い。

「あ〜〜、キツイよ先生よ〜〜」
「これ、楽になんのかよ」

僕「まあ、ちょっとずつでも楽になっていきますよ」

と、何の確証もない、生返事が精一杯だった。

いま思い出しても、特にどこが…という方ではなかった。
関節は異常に硬く、全身が筋張っていた。

そんなに痛んでいるはずはない。
でも、本人は「痛い」という。

その奥様は

「あの人はわがままだから」

と言われていたことは、覚えている。


……週2回程度で、3か月くらいは通ったかな。
お呼びが、かからなくなったのだか何だかは忘れたが、
ある頃から行ってくれと言われなくなった。

ともあれ、なかなかに思い出深い出張調整だった。



いまであれば、このような方でも対処できる。
その本当の訴えが、わかるからだ。

ただ、当時は、いささか荷が重すぎた。


こういう「勉強」をしたことは、後々まで活きている。

ある、自分にとっての理想のイメージ。
それをもつことは、非常に大事なことだと思う。

でも、そうじゃない、全く正反対のイメージを所有しておく
ことも、同じくらい大事。


それでも笑っていられる。

そういうハートが、確たる癒しの、力になる。












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