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2008年12月

2008年12月29日 (月)

本年も、お世話になりました

11月からはじめたこのブログ。

1日だいたい15人位の方に見ていただけている
ようで、非常にうれしく思います。


このブログは、このまま流れ流れていきそうな「均整」
というメソッドに関わっている人に向けて、ここまで
は書いてきた部分が多くあります。

それは、危機感や「俺がなんとかしなければ」的な使命感
というようなものではなく、単純に

「僕はこうだけど、あなたはどうなの?」

という、問いかけをしているような感じ……

ではいるんですけどねhappy01

これを読んで

「腹が立つ」
「お前は、何様だ」

あるいは

「そういう考え、共感します」
「そこは、もっと違う考えもあります」

というようなメールでもくれば、「均整」ももっと
活性化する芽もあるのでしょうけれど…。

まあ、それはこれからかもしれませんねgawk


来年からは、もう少し各論、つまり「骨盤」や
「内臓」、あるいは「腰痛」「肩こり」みたいな
テーマを題材にすることも多くなるとは思います。

そういう場合は、文章も柔らかく、読んでいて
楽な感じに、なるでしょう。

「こういうこと知りたい」
「この○○について、書いてみてください」

などあれば、お気軽にメール、あるいはコメント
くださいloveletter


何はともあれ。
僕が今日、このようにブログなどを書いていられる
のも、それを支えてくれる人たちがいるから。

傲慢不遜極まりない、僕という人間はそうやってしか
成り立ってはいけません。

そして、それらの背後に流れる永々縷々とした大いなる
存在を感じつつ、本年も無事過ごせましたことを感謝
したいと思います。

ありがとうございました。

2009年は、1月5日から。
それまで、このブログも、お休みいたします。


皆様、良いお年を。

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骨盤

「骨盤」。

ここ数年、身体のこの部位をことさらに取り上げて
語られている文献や記事が、よく見かけられるよう
になった。

これが活発になったのは、Tさんの「かわいいからだ」
という本が売れたあたりからだと思う。

もちろん、それ以前からダイエットなどふくめその
萌芽はあったけれど、そのかわいいイラストと巧み
でキャッチーなコトバの使い方で、広く女性に受け
入れられた。

「野口整体」の考え方を、あれほど要領よく現代風
にアレンジして、うまく潜在意識に訴えている方は
いまでも他にはいないし、僕なども当時なるほどと
参考にさせてもらったものだ。


「均整」の創始者は、

「頭蓋骨と骨盤は、人間の諸問題を解決する鍵」

という立場をとると、文献に遺している。


実際に骨盤の能力が高まると、特に女性は外見も
内面も美しくなる。

キレイ系オーラ、フェロモン、ぷるぷるお肌…など、
それらはすべて「骨盤」に秘密がある、といっても
決して言い過ぎではない。

ホルモン系、自律神経系、また精神面への影響も強く、
更年期といわれる時期をうまく経過させる基礎にも、
「骨盤」の健やかな働きはキーとなる。

「やせる」「太る」という、特に女性にとっての死活
的な願望にも、「骨盤」は中心的役割をする。

実際、個人差はあるけれど、あっという間にその願望が
達成されることも、ある。

ただ、やたらと骨盤を引き締めることは心身の健康を
崩すことにつながるし、その状態を維持するためには
それ相応の努力がいることも事実。


とはいえ…

やはり「美」の追求は、女性にとって止むことなき願い。
そして、それが原動力となって生命に輝きが生まれると
いうことも、否定はできないだろう。

僕は、これまでこの方面での操法(調整技術)は、ほとんど
お断りしてきた。
それは、何か「欲」のみを満たすような気がして、気持ち
が乗らなかったことも、ある。

でも、そうではない。
それは、イキイキと生きていくためには必要なファクター
なのだなと、思えるようになった。

この方面での操法(調整手法)。
2009年からは、オープンにしていこう。










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2008年12月27日 (土)

2008年 2

何かを整理しようとする場合、まず要素ごとに分類する
作業から入ると、整理しやすい。

その全体を俯瞰できればグッと早いけれど、そこにこだ
わると整理つかないのでcoldsweats02、まずは分かっているところ
から手をつけていくのが賢明、のように思う。

これは、普段から掃除などが得意な方にとっては当たり前
のことだが、その応用は実はいろいろな問題の解決を図る
際に活用できる。


さて、自身をどう整理するか?

問題、というものがあるとすれば、それはたぶんそのなかに
巻き込まれている本人にとっては、足元が定まらないような
感覚のなかにある、だろう。

あるいは、上から何かがズシッとかぶさった感覚や、目の前
に文字どおり山のように積み重なっているような感覚をもつ
場合も、あるかもしれない。


ここで注意しておくのは、それは「実態」ではなく、その
ほとんどは自分で創作した、フワフワした擬態、だという
こと。

中心となるテーマは、実際はわずかしかない。
要素ごとに分類したあと、その中心となるテーマに
自身の意識をむけてみる。


そうして、中心にたどり着くことができれば、その
問題が実は、そんなに大きくもなければ困難なこと
でない場合も、多々ある。

たとえ困難であっても、これにより足下を定める
ことは、易しくなるだろう。


この分類や抽出が難しいと感じる場合は、紙に
書いてみるといい。

最初から整理して書くのでなく、まずは気になる
ことや言葉をざっくばらんに、気ままに書いていく。

ある程度書いて、「ふう」という感じになったら
次にそこから自身にひっかかるキーワードを拾って
いってみる。

そこまでいけば、あとは気になるテーマごとに分類
したり、順位をつけたりしてみることも、できる…

……だろう。

このようにして、漠然とした事柄を紙の上に
書いてしまうと、それだけで全体を俯瞰して
いる…ことになる。

また、そういう「クセ」もつくので、もしこれを
読んで方法などをもう少し詳しく知りたいという
方がいれば、メールにて。


さて、

このようにして、自身を整理してみた。
そうすると不思議なもので、動く方向性やどう動く
ことを自身の無意識が望んでいるか、もその糸目が
ついてくる。

そしてその方向で動いていくことで、新たな出会い
や気づき、いわゆる機縁もつながっていったり、する。


昨年末から多少うつっぽい方向に傾いていた僕だったが、
もはや、その位置にはいないようだ。
おかげで、うつという状態を実体験として感じることが
できたし、いい学びになった。

その時期、ある高僧と出会うことができ、その契機となる
思想やイベント(?)に触れ、参加することができた。

それらは、潜在意識の奥から汚れをクリーニングするような
作用をもたらしてくれた。


もう、誰から誘われてもコラボレーションすることはない
だろうと思っていた。
でも、「期待」と「信頼」の違いや意味を識る方にお声を
頂き、どこにもないユニークな「会」を開くに至った。


それまで踏み込むことを頑なに拒否していた禁断の領域
ともいえるセラピー分野に、足を踏み入れた。
来年以降、そのベールを剥いでいくことだろう。






今年は、29日まで。
本当に、素直に、感謝をしつつ…。














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2008年12月26日 (金)

「出る」「出ない」

「均整」では、身体的な

「出る」「出ない」

に関わる一切を、「捻れ」と関連して捉える。


これはつまり、便秘や下痢、また尿漏れやニキビ
など、要するに「排泄」に関わる一切のこと。

また、あらゆる痛みもまた、「出る」「出ない」
の一形態である。

こういった時、身体には「捻れ」が起きている
ということを言っている。


もちろん、これらに対して応急・救急的な技術も
用意されている。

しかし、どのような場合も大事なのは、その方の
身体の現状を把握することにある、だろう。

それは、「起きている現象(症状)」ではなく、
「起こしている身体」の現状、である。



たとえば、「下痢」。
通常はそうなると焦り、抗生物質などを頼ろうと
するのではないだろうか。

もちろん、それは不適切な考え方ではない。

標準的な便の状態というものがあるとすれば、下痢
それ自体はやはり「異常」である。

この場合は「異常」なのだから、それをストップする
こと自体当然の処置で、何ら問題はないことになる。


ただ、「排泄」という身体現象を角度を変えて広く
捉えてみた時、その「異常」は、「異常」でなく、
むしろ〈正常〉な場合が、ある。


たとえば…

本日来訪された方の娘さんが、クリスマス前に
下痢をされたという。

その方は、

「悪いものを食べて下痢をしているのだから、特に
 ムリに止める必要はない」

という考えのもと、抗生物質などに頼ることなく、
娘さんの下痢をともに見守った、らしい。

だいたい1日半でその下痢を経過したとのこと。
そして、

「ビックリしたのは、娘の肌がツルツルして、
 キレイになってたの♪♪」

と、言われていた。



下痢をして肌がツルツルに……??
こう思うかもしれないが、実際そういうことはある。

腸と肌の関係は、深い。

たとえばニキビや吹き出物は、腸の状態が顔など
に反映された現象、という見方もある。

下痢をしたことによって、腸に滞留する老廃物まで
も排出できた。
それによって、肌つやまでもよくなった。

腸の状態がよくなり、骨盤の捻れが自然に修正され、
結果、ホルモン系への好影響へとつながった。

そういう見方も、できる。





「下痢」という、一側面からみれば「異常」な身体
現象も、それを逆手にとればこのような美容効果も
あったりする。

一見マイナスに思えることも、少し角度を変えてみる
だけで、まったくちがう世界が開けることも、ある。


もちろん、すべての場合にこういう考え方や方法論が
適用するワケではない。
ケースバイケースに、柔軟に対応することは必要だろう。

下痢にしても、かたくなにそれを自然に経過させること
に固執することは、時に危険な場合もある。
あまりに激しい場合や、著しく体力が低下している場合
などは、迅速に何らかの処置をした方がよいだろう。

そういう場合は、医学の手を借りるのは賢明と思う。

ちなみに、「均整」では排便の後肛門にしみるような
下痢は、出し切った方がいいとされている。
参考までに。


出せることが、正常なのか?
出ることが、異常なのか?

下痢に限らず、時に起きるこういう論議ほど虚しい
ことは、ないと感じる。

正常・異常を理屈で問う前に、起きている身体の現状
を読み、把握すればいいだけのことではないだろうか。

そうであれば、正常も異常も理屈に過ぎないことに、
気づく、だろう。




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2008年12月25日 (木)

雌伏

手技療法に携わって、もう丸12年になる。
学びを始めた時点からは、足掛け14年。


学び始めた当初、たとえば「気」という概念は、口に
するだけでも「トンデモ」な印象をもたれる時代だった。

「身体のゆがみ」という概念ですら、眉をしかめる人が
圧倒的に多かった。
ただ、目に見えて実際に確認できる分、「気」という
よりは理解が得られやすかった。

そもそも「均整」自体、「第三(四)の医学」を標榜し、
運動系、つまり筋肉や骨格系の分野での新しい医学と
して確立しようというコンセプトのもと、創始者健在
当時は活動していたようだ。


言い方を変えれば、非科学的な路線を極力排して、
万人に受け入れられやすいスタイルを選んだ、とも
いえるだろうか。

この路線の正否、良悪などを僕は問う立場にはない。
当時としては、そう向かわざるを得ない、種々の事情
もあったことだろう。



また、僕個人を振り返ってみれば、世でいう「流れ」
に翻弄されてきた。
少なくとも、そういう時期があったことは否めない。
「流れ」という、いつ消えるともしれぬ泡沫のような
ものにこだわり、足下を見失いかけた。

そうではないことを知りつつ、種々さまざまな言い訳を
自分自身にして、その泡の中に居続けた。

おかげで、失ったモノも多いが、そうした時期がなければ
まず得ることのできない、貴重な気づきと、人々に出会う
ことができた。

ようやくにして……。



「雌伏」。

この意味は

1、《雌鳥が雄鳥に従う意から》人に屈伏して従うこと。
2、実力を養いながら活躍の機会をじっと待つこと。


という、2つの意味がある(大辞泉)。


最近読んだ本、

『空海をめぐる人物日本密教史』(春秋社)


には、最新の研究成果にもとづく詳細な空海の伝記と
その前後の伝承の歴史やさまざまな密教者たちの生涯
をとおしての歴史などを、時代背景とからめつつ描か
れている。


そのなかで、当時の唐から空海自らが将来した密教を
ひとつの宗派として建立するために14年もの歳月が流れ
ているという史実が紹介されている。

日本史上最大級の天才とされ、瞬く間に世にその名を
知らしめたと一般に思われているであろう空海ですら、
いわば不遇の時代があったということ。

その時期、空海は理論実践の両面で、ほかの追随を許さぬ
次元へと、自らの密教を引き上げようと全精力を傾けたで
あろうことは、想像に難くない。


ここで著者は、「雌伏」という文字をあてている。
そう、まさに空海にとって、それは「雌伏」の時だったのだろう。



何とはなく、いささか腑に落ちた感覚。
それと同時に、やる気と勇気。

「流れ」は抗うものでもなく。
また、そこに従順であるものでもなく。




その「流れ」を、乗りこなしてしまえばいい。

己れに、目指す頂があるのなら。








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2008年12月24日 (水)

相関関係

たとえば、目が疲れている時は、だいたい膝関節にも
何らかの働きの異常がある。

その異常は、多くは自覚にはのぼらない。
けれど、それは確実に、起きている。

目の異常は、何も膝関節だけではない。
股関節にも深く関係する。

これは、逆にいえば膝や股関節の何らかの異常は、
目に影響する、ということでもある。


このような関係性は、枚挙にいとまがない。

神経系などの理論で説明のきかないこのような人体
相互の関係性を、「均整」では〈相関関係〉という。

こう書くと、

「医学的にも証明できないそんな関係性、あるワケない」
「やっぱり怪しい系なんだ」

と思われるかもしれない。

しかし、たとえば最近では足裏マッサージなどでは、足裏と
全身の関係性を理論的なベースとして施術している。

〈足裏反射療法〉とは、つまり足裏各部位と全身各部位の

「相関関係」

をいっていることにほかならないだろう。

それがどれだけ実績的根拠によっているか、は、少し
調べてみればわかる。

また、系統発生学という生命体の形態変化をつぶさに比較
研究していく学問などをほんの少しひも解いてみる。

すると、たとえば皮膚の原器(もともと)はアスピディンという
象牙質と骨組織との複合体であったりと、驚くような事実
に出会うことができる。

つまり、解剖学的視野だけでは人体は説明できない、と
いうことになる、のではないだろうか。


僕などは、そういう難解な学問的根拠を説明することは
できない。

ただ、たとえば先ほどの目と膝関節、目と股関節には
似通った共通の「気」が流れているのだろう、という
実践経験から生じる確信みたいなものは、ある。

それが周波数的なものなのか、もっとちがう情報なのか、
それはわからない。

でも、

全身をひとつとみる。
心と身体をひとつとみる。

という東洋的身体観には、共感して余りある。


正しい間違っている、いい悪いなどの判断基準では
ない、ただ

「一如」

という理が、心地いい。










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2008年12月23日 (火)

情報を削る

「勉強熱心」。

一見するといいことばかりのようだが、意外に
裏目に出てしまうことだって、ある。

それが傍目には裏目に見えないのは、そういう
人は総じて、

「努力するのは、苦しいこと」

という信念をもっていることが多いから、その
苦しさや大変さを当然のことと受けとめていて、
たとえ裏目に出ていてもそうは見えないという
カラクリになっている、のだろう。

かくいう僕も、ついこないだまでは間違いなく
そういう信念をもつ一人であった。
そして、こう書いているいまも、まだその路線
の名残りを完全に払拭できてはいない。


つい先日も、自分を変えていこうと、相当に
努力されてきている、ある男性が来訪された。

その男性は、「考える」ことを知っているので、
少しのヒントをじっくりと考え、咀嚼吟味して
その本質をつかんでいくタイプ。

この時来訪された時も、すでに前回お会いした
時点より気がスッキリとしていた。

ただ、その反動、という言い方は適切ではないが、
いわゆる「好転反応」のような、いい知れぬ不安や
体調の低下状態に、この時あった。

そのあたりはご本人も自覚されていて、変動期にある
自分を冷静に観ることもできていた。


そうしたお話を伺うなか、ポツリと

「あと、この首のつまった感じがキツい……」

ということを口にされたので、僕はすかさず

「ああ、それはもう……何かで窮屈な思い、
 してるんじゃありませんか?」
「たとえば、『〜ねばならない』みたいな
 追い込み主義的な考えとか…」

と申し上げたところ、その男性は

「……そうですね」
「そういうので、しんどくなっている感覚が 
 実感されます」

と、納得されていた。

「いまはいわゆる煽り系は流行っていて、ともかく
 これを身につけよう、これを習得しようみたいな
 流れになってますけど、それももう終焉気味かな
 みたいに僕は感じてます」
「何かに煽られ、そうでないと取り残されるような
 気風に触発されるでなく、まずはいらない情報を
 削っていく、そういう時代かも、ですよ」

……などと、立場上恐縮ながら、述べさせていただいた。

いまは黙っていても、パソコン、携帯など情報収集する
ツールには事欠かない時代。

いつしか人は、そこに流れる何かの波に飲み込まれ、
いまいる位置すら見失う。

その見失っていることすら、普通は気づくことは難しい。


その男性は、もうすでに準備ができていた。
あとは認識し、解放へと向かうだけだった。

解放は、表面的には大変なことがある。

でも、波はいつまでも高波ではいられない。
すぐに、おだやかな優しい波に、出会うことになる。

その時、さらにスッキリとした気に、出会えることだろう。


そしてその時、おそらくこう思っているだろう。

「努力するって、楽しいこと」

と。




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2008年 1

年末。

社会は、ある規律性のもとで展開しているのだな、
と思う時期。


2008年は、僕にとってなかなかに貴重な年だった、
そう後になって振り返る時が、くるかもしれない。

もしかして振り返った、その時のために、記すdog



それまでの数年。

認識はしていても、放っておいたこと。
知ってはいても、おざなりにしていたこと。
予想はしていても、具体的に対策を講じなかったこと。

…などなど、自らが積み重ねてきた様々な事象。

それらが二重三重に重なり、なかば押しつぶされそうな
状況にあった。
まさに、アップアップwobbly

重なる時は、重なるもの。
それを呼び込む、何かが己れに備わっているのだから。

まあ……しゃあないgawk


そう心に想ってはいても、やはり揺らぐ。

まだ、「覚悟」が芯まで備わっていない。
僕は、何をやってきたのだろう……。

そう思うばかりの日々が、いたづらに過ぎていった。

人は、そうとは知らずともそれを直観する。
何かを感じ、そして去る人は去る。

人にさまざまな癒しをもたらす。
それを生業とする、その資格などないとまで思った…。


それほどまでに疲れ果てていた。
それが、2008年の前半までの、僕である。

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2008年12月22日 (月)

動く力

僕は、身体を整えることを生業としている。

しかし、経験を重ねるうちに、単に構造としての
身体に着目するだけでは、何かが違うと感じる
ようになった。

つまり、より「全体としての人間」そのものへと、
目を移動させていった、ということになるのだろうか。

だから時折、世でいうコーチングみたいなことも、
必要に応じて実践する場合もある。


 



便宜上、ここでは人を乗り物と例えてみる。

その乗り物は、車でも飛行機でも、かまわない。
ただその乗り物は、自動運転式ではなく、あくまでも
人が乗って動かす、文字どおりの「乗り物」。


通常乗り物は、人が動かさなければ、動かない。

どんなに高性能でも、
どんなに美しい形をしていても、
どんなに大きくても、

それを動かす「人」が存在して、はじめて乗り物と
しての用を為す。

乗り物がその用を為さない。
つまり、動かない、とする。

その動かぬ乗り物は、お飾りとして重宝される類いのモノ
であれば、それもいいのかもしれない。

しかしほとんどは、そうではない。

乗り物が、乗り物としての用を為さない。
であれば通常、その乗り物は、廃棄されるのが運命だろう。

ではその動かぬ乗り物に、仮に意思があるとしたら、
どうだろう。

動けぬことへの、無念。
動けぬことへの、不満。
動けぬことへの、怒り。
動けぬこちへの、恥ずかしさ。
動けぬことへの、諦観。

……これらが生じてくるのでは、ないだろうか。

本当は動きたいのに、動けない。
本当は動けるのに、動く方法がわからない。
本当は動けるのに、それを活かす場や人がいない。

……たぶん、そう考えること、だろう。

人も同様。
なれど、人の意思は、さらに複雑。

生じたネガティブな意思は、時として人を、あるいは
自分自身を傷つけることもある。


別の意味でも、人は複雑。

たとえ動ける状況であっても、動かない。
たとえ動く方法がわかっても、動かない。
たとえその場や人に恵まれていても、動かない。

それも事実。

では、それを「動かす」には?

ある人には優しい言葉が。
ある人には荒々しい行動が。
ある人には感情をゆさぶることが。
ある人にはその先にある夢が。
ある人には後ろから迫る脅威が。

その契機に、なる。

ある人が

「なぜ、そう感情にひっかかるようなことを…」

と、半ば抗議にも似た、それこそ「感情」を抑えた言い方で
僕に聞く。

その人は、客観的にみてある分野で、かなり才能に恵まれ
ている。
それを、本人も自覚はしている。
そして、本人もその世界で生きていく、意志もないではない。

でも、動けない。

いや、本質的にはただ動かないだけ、だった。

動かないことで、そのままその内側の火が鎮静してしまえば、
それはそれでいい。

でも、火はいつまでも燃えている……。


感情にひっかけるのは、その燃えさかる火を行動へと
つなげていくこと、になるだろう。

そうでなければ動けぬ人も、いるのだから。



その火は、ようやくその人を動かす原動力へと還元された。
どう歩んでいくのか……


どう歩んでも、歩まぬままの苦しみとは、ちがうだろう。















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2008年12月20日 (土)

身体調整

体調不良の種類は、無数にある。
そういっても、あながちまちがいではないだろう。


まずは、出てきた不調を解決する能力を磨く。
これがそれなりにできなければ、始まらない。

それが、筋肉や骨格の偏りの修正で終焉を迎えるのか。
それが、各内臓器官の変調とどう結びつくのか。
それが、どの程度の「深さ」なのか。

少なくとも、こういう「読み」は、要求される。



次に、それが「出てこない」身体に導く能力を磨く。

関節や筋肉の能力。
神経系やホルモン系の能力。
各内臓器官そのものの能力。

少なくとも、これらの「能力」を引き出す手法は、
要求される。



バリエーション的に、ある目的を達成する能力を磨く。

スッキリとした魅力的なボディラインに。
細く引き締まった脚に。
パッチリとした目に。
ツヤのある肌に。

明日の試合で、キレのよい動きをしたい。
瞬時の状況判断力を向上したい。
集中力を増したい。
ブレない心身を創りたい。

少なくとも、個々それぞれの希望に貢献できる手法は、
要求される。


これらすべてに共通する、不変の要素は何か?
これらすべてに影響する、普遍の要素は何か?


その要素を身体から引き出し、高める。

その要素が、引き出されていくことで、ごく自然に
上記それぞれの項目は、達成される基礎ができる。

パソコンでいえば、OSの整備であり、ある面バージョン
アップともいえるだろう。

アプリケーションは、必要に応じてインプットすればいい。
それが動作する身体であれば、いいだけのこと。


 


それが、【TAMURATIC】の身体調整、

なのだろう、か。













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2008年12月19日 (金)

「なりたい」と「なる」

人生には、「出会い」が、ある。

その「出会い」は、

人との、場合もあれば……
場所との、場合もあれば……
物との、場合もあれば……
仕事との、場合もあれば……

種々さまざまな、「出会い」が、ある。


「書物」。

ある書物の、ある一行で人生に目覚める。
その一行から喚起される、豊かなイメージ。

そのイメージが、時に絶望に打ち震えるばかりの
心に、かすかな、それでいて力強い灯火を、ともす。


幼き頃、何者にも頼れないかのごとき絶望。
それを優しく癒してくれたのは、「書物」だった。


その「書物」にも、いろいろある。

分野でいえば、自然科学、小説、文庫、新書、歴史…
などなど。

そういうなか、いまだ虐げられて久しい分野に「コミック」、
つまり俗にいう「マンガ」が、ある。

「マンガは、想像力を奪う」
「考えなくなる」

など、いまだによく聞くけれど……。

よくよく考えれば、いや、読んでいる時の自分を観察して
みれば、おのずと答えは出るだろう。


たとえば、「願望達成」。

「〜になりたい」…これは、「希望」の表明。

「〜になる!」と言い切る。
それも、迷いも遠慮も微塵もなく。

これは、「決意」であり、「覚悟」の表明。


つい先日で52巻目を数える「マンガ」がある。

その「マンガ」は、連載初回から、主人公が一貫して
変わらぬ「決意」と「覚悟」を表明し続けている。

その作品名を『ONE PIECE』という。

「不退転の決意」と、さも悲壮な顔をして述べる。
その時点で、本気であるかないか、わかる。

『ONE PIECE』には、その「本気」が、随所にある。



「ただのマンガ」
「しょせんマンガ」

この視点は、そのまま「人」への視点とも、通じるだろう。

少なくとも、相手を知らずに侮るような愚を犯したくは

………ない。



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2008・12・18 〈カラダとココロのリセット茶会〉

まずは、昨日お会いできましたすべての皆様に…

素敵な時間を頂き、ありがとうございましたhappy01


それぞれの方が、それぞれの想いを胸に参加する。
講座というのは、その想いが行動に反映された時に
初めて成立するものだろうと、思います。


貴重なお時間を使って参加していただく。

それに見合った中身と充実感を、こちらは提供できる
かどうか。

…こう考えるとけっこうドキドキだったりしますがcoldsweats01
無事、和やかに進行することができました。

次回以降も、もしお時間とニーズが一致するようであり
ましたら、またお会いできますこと、願っております。


また、いつも陰に陽にとお気遣い頂き、絶妙なタイミング
でのさまざまなご配慮を頂く、Kさんのお茶も堪能でき、
ゆるやかな時を刻ませていただけたことに感謝しつつ…。



近日、サイトの方でも報告させていただきます。





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2008年12月17日 (水)

「抜き」の技術

「均整」は、

「抜き」

の技術、だという。


通常、指圧やマッサージなどではどちらかといえば
目的の部位に「圧」、つまり指などで圧力を加えて
いくことに重点をおく。

いうなれば

「押圧」の技術

といえる、だろう。

もちろん、そうでない手法もあるだろう。
あくまでも、一般論。



「抜き」の技術とは、そうではない。

「圧」を加えることよりも、それを離す瞬間に
重点をおいている。

たとえば、背中のコリをゆるめたいとする。
その時に、そこをグッと押さえる。
そこまでは、たぶん普通にイメージできるだろう。

でも、その押さえた瞬間に、

ある時は、「ポッ」という感じ
ある時は、「フッ」という感じ
ある時は、「スポン」という感じ

……バリエーションは目的によりいろいろあるが、
その圧迫を、解き放つ。


もちろん、押さえの強さ弱さもいろいろ。

ほとんど触れるか触れないかの微妙な押さえの時も
あれば、文字のごとくグッと押さえる時もある。


それは、

深く響かせるのか、
浅く速やかに変化を促すのか、
気持ちの良さを引き出すのか、
引き締まった意識を誘導したいのか、

……などに、よる。




この「抜きの技術」に、「呼吸の技術」を重ねる。


それが、【脊髄神経反射】。


その真髄を「本当に」自在に体現できたものが、


……かつては、いた。



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2008年12月16日 (火)

脊髄神経反射

「均整」には、数多くの理論、技術が存在する。

創始者である故・亀井師範は、その持ち前の優秀な
頭脳と、卓越した技術センスで、次々と当時あった
最先端の理論をバージョンアップしていった。

そのなかでも白眉といえるのが「脊髄神経反射」。
「均整」では

「類別克復法」
「観歪法」

というネーミングになっている。

これはカンタンにいえば、内臓調節の手法。
脊髄神経を仲介して、自律神経系の働きを調整する。

エンブラムスという方が多年に渡り研究された脊椎の
反射現象を、大正6年、故・児玉林平氏が日本に紹介
したものが基礎になっていて、背骨のどこをどう刺激
すればいいのか、を詳細に解き明かして、ある。

この脊髄神経反射の考え方をベースに、たとえば「救急
操縦法」なども技術構成がなされているのだから、言い
変えれば「均整」の実質的な基礎、ともいえるかもしれない。



戦後、無きものとされかけた民間療術。
その重みが、この理論の背景には、ずっしりと乗っている。







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たまには、日々徒然

日曜日、ある忘年会。


あまりにもまろやかな、もち米焼酎。


不覚にも……飲み過ぎた(^-^;


月曜日、もち米に支配されたかのような体感覚。
そのまま、気功修練へ。

あかん…。

倒れそうになりながら、気を練る
ヤレヤレ ┐(´(エ)`)┌クマッタネ


この日バースデーだった、Kさん。
おめでとうございますhappy01


そして、今日。

お酒でフリーズしていた脳に、やや回復の兆し。

なので、久々に「たまプラ」ネタ。

田園都市線というのは、知る人ぞ知る

「おいしいパン屋」さん

が多い路線。

特に、鷺沼から青葉台までは、群雄割拠といっても
おかしくないほど、高品質なパン屋さんばかり。

僕は相当パン好きなので、この環境は願ったり叶ったり。
週に数回は、パンを食べる。



今日は、そのなかでも有名な「徳多朗」を食した。
うれしいことに、6年ぶりに「レーズンフランス」が復活
していたconfident
このパンを食べてその味を知った僕としては、感慨ひとしお。


……写真撮影することを忘れ、食べてしまったが( ゚д゚)ポカーン


まあ、そんなこんなで。
パンも人も、やはりそれぞれアジがある。

そのアジは、長期熟成して発酵し、はじめて表舞台へと
出せるものである場合もあれば、インスタント加工も
可能なものである場合も、ある。

どういうアジを選ぶかは個人によるのだろうけど…


やはり、おいしいアジが好み、かな。















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2008年12月15日 (月)

見えない軸

身体には、無数の「目には見えない要素」がある。


たとえば、「丹田」という言葉を、聞いたことがある人は
多いのではないだろうか?

「腹」ではなく「肚」。

落ち着きと風格の根源には、これがある。





浅田真央選手。
いわずとしれた、現代女子フィギュアスケート界の頂点にいる、
時に「ミラクル」とまで評される逸材。

彼女は、そういう「見えない要素」の固まり。
僭越至極を承知でいえば、僕には、そう観えて、しまう。

特に「軸」。
バレエなどでいう「センター」という概念に近いし、彼女も
その経験がある、という話を聞いたことはある。

しかし、バレエで要求される軸と、フィギュアで要求される軸は、
同じようでもまた違ったものだろう。


あのしなやかで優雅に見えるジャンプ。
筋力以前にある、「軸」がもっともよく反映される。
その「軸」が、鋼のように太く、しかし同時にしなやかなのだ。

彼女が「どこ」で飛んでいるか?
それが観えたら、その秘密の一端に迫れるだろう。


いたづらに筋肉という鎧をつけず、更なる高みを表現してもらいたい…

切に、そう願う。






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2008年12月12日 (金)

癒しの側面

「癒しの仕事」、というと、一見

「人の感謝される」
「人のためになる」
「人を癒してあげられる」

というイメージが湧くかもしれない。

確かに、そういう側面はある。

しかしそれは、全面では、ない。



かくいう僕自身、最初はそのように思っていた。
頭の中では、カッコよく人の身体を操り、パッと
その悩みを解決してしまう。

…でもそれは、いうなれば全体の中の一部。
しかも、理想的な場面の、一部でしか、ない。



かつて、最初の師の処に、週一度勉強に通っていた時の事。

ある日

「田村君、出張に行ってきてくれ」

と言われた。

人を調整することに渇望していたその時期、すぐに

「はい!」

と現場へと向かった。

その方は、何度か先生の処でお見かけしたことがあった。
その当時のパッと見た印象は、「人の良いご老人」だった。

「あの人なら、大丈夫だろう」

そう思いながら、呼び鈴を押す。



あっちも痛い。
こっちも痛い。
そこも痛い。
あそこも痛い。

「あ〜〜、キツイよ先生よ〜〜」
「これ、楽になんのかよ」

僕「まあ、ちょっとずつでも楽になっていきますよ」

と、何の確証もない、生返事が精一杯だった。

いま思い出しても、特にどこが…という方ではなかった。
関節は異常に硬く、全身が筋張っていた。

そんなに痛んでいるはずはない。
でも、本人は「痛い」という。

その奥様は

「あの人はわがままだから」

と言われていたことは、覚えている。


……週2回程度で、3か月くらいは通ったかな。
お呼びが、かからなくなったのだか何だかは忘れたが、
ある頃から行ってくれと言われなくなった。

ともあれ、なかなかに思い出深い出張調整だった。



いまであれば、このような方でも対処できる。
その本当の訴えが、わかるからだ。

ただ、当時は、いささか荷が重すぎた。


こういう「勉強」をしたことは、後々まで活きている。

ある、自分にとっての理想のイメージ。
それをもつことは、非常に大事なことだと思う。

でも、そうじゃない、全く正反対のイメージを所有しておく
ことも、同じくらい大事。


それでも笑っていられる。

そういうハートが、確たる癒しの、力になる。












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ある青年の話

その青年は、剥き出しの、鋭利な刃物のようだった。


自分以外の何者をも、認めない。
そういう雰囲気をまとい、周囲を知らず威圧していた。


センシティブな感性に富んでいる場合、このような風体を
示すことは、ままある。
しかし、それはガラスのような脆さを同時に含むことが、
多い。


その脆さ、危うさは、時として自分へと刃をむける。
破壊衝動は、いつも外に向かうとは、限らない。


その青年も、そのようであった自分の姿を、もはや
忘れている。

喉元過ぎれば……というが、どのように激烈な痛み
だとその時は感じていても、わりとすんなり人は
その事実を記憶の彼方に置いてくることが、できる。


周囲との軋轢のその因を自覚し、自分なりに変わろう
としてきた結果、ともいえる。


もう、大丈夫だろう。
自立への種は、立派に芽を出したようだ。

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2008年12月10日 (水)

「上がりやすい」「キレやすい」

たとえば、緊張しやすいことを「上がりやすい」という。
これは、何が「上がりやすい」のだろうか?

たとえば、「キレやすい」と最近ではよく使う。
これは、何が「キレやすい」のだろうか?



このような比喩的表現を、誰しも使う。
「何でこう言うんだろう??」と思いつつも。

でも、しっくりくるから、伝播する。



「上がりやすい」人を、「均整」や「整体」的な身体観から
みれば、それは一目瞭然。

「キレやすい」人も、同様。

もちろん、個々それぞれで細かな違いがあっても、ある一定の
パターンが、そこに存在する。


簡単に記そう。


「上がりやすい」人。

首および肩の硬直が生じやすく、抜けにくい。
みぞおちが硬い。
呼吸が浅い。

より具体的には、背骨の胸椎1番や9番に弾力が欠ける。

「キレやすい」人。

みぞおちが硬い。
呼吸が早い。
姿勢が、捻れてみえる場合が多い。
あるいは、胸をかばっているような姿勢。
より具体的には、胸椎8あるいは9番が突出し、頚椎4番、
あるいは5番が硬くなっている。

おおまかだが、このような特徴があるように思う。

「均整」や「整体」でいう

「身体から心を変える」
「姿勢を変える」

という本来的な意味や意義は、このようなパターンを
示す身体傾向(クセ)を、変えていく、ということ。

ちなみに

「上がりやすい」のは、何が「上がりやすい」のか?
「キレやすい」のは、何が「キレやすい」のか?

それは、「意思」に変化する以前の、まっさらなエネルギー。

そのエネルギーが上がったり、キレたりするのを、誰もが実は
感じている。

だから、そういう言葉が、しっくりくる……


…のかも。





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2008年12月 9日 (火)

自然治癒力を引き出す(おおいなるヒント 2)

「ヒーリング」や「エネルギーワーク」というと、
たっぷり時間をかけるというイメージが湧く。

……のが、通常だろう。



その手法は、だいたい1分で終わる。
その後、5分ほど寝ておけばいいだけ、だった。

激しい難病の痛みが軽減する。
悪性の腫瘍が消える。

などなど、実際の医学的臨床の場で実証もされて
いるその手法。



創始者の方は、まだ40代。
静寂の中に激しさを、柔らかな物腰の中に溢れるセンスを
感じた。


簡単にいえば、エネルギーを降ろし自然治癒力を引き出す。
ただそれだけなのだが…その降りてきたエネルギーの質、
透明さと猛々しさの両輪は、身体内部で蠢いていた。


一度では分からない方も多いらしく、5回は通って
くださいという。

一度でわかったけど…5回通ってみた。



利と難、両面での大きなヒントを、
いただくことが、できた。


やっぱり、そういうことなんだよ、ね。







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2008年12月 8日 (月)

たったひとつの言葉

「東京均整学院 均整指導教室」というのは、数ある
「均整」を教えている団体のなかでもユニークな課目
設定をしていた。

その最たるものは「催眠」だろう。

学院長である僕の最初の師は、もともと「催眠療法」を
専門にされていた先生だったこともある。

授業では僕がモデルになり、催眠状態で針を腕に刺して
みたりしたが、血は出ないし痛みもほとんどないなど、
当時としては驚きだった。



その後、現在では有名になったあるセラピストの方に、
マンツーマンに近い形で約2年、ご教授いただいた。

ミルトン・エリクソン(故人)という催眠界の巨人が
いるが、この方は当時そのエリクソン催眠を主体に、
総合的に心理臨床を追求し実践されていた方だった。

いまでは縁遠くなったが、ぜひ自己の理想を達成
してもらいたいものだと思っている。



「均整」の「十二種体型」などのテキストには、背骨と
心理状態などの関連性が説かれていたり、する。

また「整体(野口)」には、「潜在意識教育」という課程が
ある。

なぜなら整体創始者の野口氏は、もともと精神療法を
専門とされていた方であり、実際の逸話もその方面から
のアプローチが多い。


ある身体症状が、たったひとつの言葉で快方へと向かう
ことも、珍しいことではない。

その症状の背後に何があるのか?
単なる物質的背景、だけではないだろう。

表に現れた言葉。
表に現れた行動。
表に現れた症状。

起きた現象だけに目を奪われても、何もわからない。



表裏一体……なんだよね。。





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2008年12月 6日 (土)

おおいなる、ヒント

海外から逆輸入され、一時期ブームとなったヒーリングや、
人間の電磁気的特性を活かしたヒーリングなど、数種類の
ヒーリングテクニックはすでに習得していた。

だから、当然ながら「触れる」ことにこだわらなくても、
ある一定の調整の成果はおのずと現れる。

ただ、「何か」が欠けている………。


その当時、その「何か」が僕のなかに混迷を呼んでいた。


キネシオロジーを学んでいる「均整」の後輩が、独特の手法
で大変な成果を誇っているある鍼灸師の処で勉強していた。

その手法も以前から知ってはいた。
しかし、そこまで興味も関心ももてずにいたのだけれど、
後輩も相応の成果を出しているとのこと。

それならば体験させてほしいと懇願し、調整を受けた。



「ああ、なるほど〜」


脳・脊髄を微細な刺激で調整するというその手法は、
ある意味「勝手に」背骨が変化しているように感じる。


「刺激」というのは、ギュッと強く押すから生体への影響
も強い、というものでは、ない。

外的な部分、筋肉といういわば「鎧」には影響大に感じる
かもしれないが、内的(脳など)にはかえってマイナスな影
響だけが残る場合も、ある。

微細で、感じられないほど弱い。
こういう刺激ほど、抵抗も少なく深部へ影響する。



ある意味、期待はあたっていた。
おおいなるヒント、のひとつに出会えた瞬間だった。









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何年ぶりかの…

僕は、上京して最初に過ごした街は吉祥寺。
「住みたい街」というと、必ず名前が挙がる街。
その当時もそうだった…らしい。
(そんなことは、後になって知ったことだけど(^-^;))

焼き鳥の「いせや」は、公園店は相変わらず。
もう一店は、建て替えてキレイになっていた。
(ちょっと地元ネタ( ̄▽ ̄))

まあ、勉強が主目的で訪れたし、夕方には調整が入って
いるので長居はしなかったが…

変わった処と変わらない処。
街も人と同じく、ですね。

写真は、井の頭公園。

Hi3d0024

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2008年12月 5日 (金)

転換

とりとめもなく思考する日々。

新たな息吹を取り込む。
それにはまず、それまでと違う見地がいるだろう。

とりあえず、そう考えてみた。



ここにリンゴがあるとする。

リンゴはリンゴ。
それ以上でも以下でもない。
通常、そう考えるだろう。

でも、それは本当にそうだろうか?

「リンゴ」という正体を、通常の概念として決めて
しまっているから「リンゴ」なのであって、本当は
「リンゴ」という枠ではないものであるのかもしれない。



アプローチ(技術)も同様。
「これがこう」と定型化しているだけかもしれない。

そういう範疇を、一度引っくり返してみよう。

引っくり返すことで、思わぬ玉手箱に出会える…
かもしれないし、そうでないかもしれない。



その発想の原初をどこに求めるか?

細胞?ミトコンドリア?電子?原子?

現代物理学において、すべての源とされているのは…

「波動」

という概念。



まずは、このあたりからだ。




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2008年12月 4日 (木)

骨までしゃぶるがごとく

僕がアプローチ(技術)の面で影響を受けたのは、
2番目に習った先生だった。

あれは26〜7歳の時。
ある武術(?)の講習会で初めて会った時のこと。

「誰に習ったの?」
「○○先生です」
「○○先生、あの先生は……」

という感じで、その手法の特長を語り、モノマネまで披露
するという、外見も手伝って風変わりな印象だった。

まさかこの先生に足掛け8年も習うことになるとは、さすがに
この時は予想だにしなかった。



「均整」に触れること自体そもそも珍しいのに、それを仕事
にする人など…まあ僕も含め相当変わっているといっていい。

そのなかでも、この先生は……。
(これ以上はいえない)

「均整」はいうにおよばず、「整体(野口)」を創始者野口晴哉氏
の直弟子の方に習い、そのほか数多ある手技療法に精通し、また
仙道の技法にも長け、武術にも詳しい…と、まあ相当にユニーク
な方だった。


ともあれ…

20代前半で育まれていた、物事の裏(本質)を見ようとする僕の
感性がこういう出会いを生んだ、のかもしれない。

表面をなぞるでなく、骨までしゃぶるがごとく手技療術を深く
堪能することは、このお陰でできたように、思う。

その底知れぬ深みのあることを、知ることもできた。

本当に、感謝の極み、ではある。



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2008年12月 3日 (水)

波動とは?

多少、アカデミックな気分に浸りたい時。
科学雑誌「Newton」は、いいかもしれませんね。

今回のメインテーマは、「波動」。

「ミクロな世界の物理である『量子論』によると、電子や
 原子などにも、波動としての性質がある。
 電子や原子は、身のまわりのすべての物質を構成する源
 なので、『自然界は、波動に支配されている』といって
 も決して過言ではないのだ」(36ページ)

「波動は『振動』と密接に関係している。波動とは『ある
 点で生じた振動が、周囲に広がっていく現象』なのだ」
(40ページ)

「携帯電話やテレビなどで使われる電波と、光(可視光)は、
 波長が異なるだけで、本質的には『電磁波』と呼ばれる
 同じものである」(48ページ)

などなど、基本となる事柄がたくさん記事になってました。

まあ、読んだからといって完璧に記憶するでもなく( ̄▽ ̄)
何となく頭がよくなった気がする程度の僕ながら( ̄ー ̄)ニヤリ

常日頃あいまいになりがちな「波動」という概念の基礎を、
改めて多方向から確認できた……気がする…かな(* ̄ー ̄*)

いまでもまだ「波動」というとアヤシイ香りを想起する方は
多いけれど、たとえばこの雑誌のインタビューにお答えに
なっている今回のノーベル賞受賞者、南部陽一郎・シカゴ
大学名誉教授の「対称性の自発的な破れ」の理論などは、
1961年に提唱されたものらしいです。

これから、時とともに「波動」は、スタンダードな言葉に
なっていくんでしょう……ね。。



Hi3d0018_3

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2008年12月 2日 (火)

十二種体型

「均整」には、基盤といえる体系が2つある。

「均整」が組織としてどのように分裂を繰り返そうと
これがなくてはもはや「均整」ではない、という代物。

それが、「三原則」と、ここで紹介する「十二種体型」である。


背骨を基点に人間の身体をとらえた場合、基礎となる「運動」は
3つしかない。

「前後」「左右」「回旋」

という3つであり、そのほかどのように複雑に動こうとも、結果
これらの組み合わせでしか、ない。

このうち

「前後」に特徴のあるタイプは、頭脳にエネルギーが集まりやすい
傾向がある。

「左右」に特徴があるタイプは、消化器。
「回旋」に特徴があるタイプは、泌尿器。

にそれぞれ、特徴がある。

これらにそれぞれ陰陽があり、ここまでで6タイプとなる。


また、背骨を基点とした動きではなく、

「肋骨」「骨盤」「筋肉」

という、「カタチ」をメインに判断するタイプが
それぞれ陰陽あって6タイプ。

前半の「動き」主体タイプが6分類。
後半の「カタチ」主体タイプが6分類

これで、12種類の体型パターン。



感受性の傾向から判断する、「整体」の体癖と酷似して
いることからよく揶揄されるが、それは当たり前。
同時代に育まれ、ある時期まで交流があったのは事実なの
だから。

どっちが正しい。
どっちが正当。
どっちが優れている。

そういう不毛な論議は批評家にまかせて、実践者である僕は
ただ、これらの叡智を深め、縁ある方々に享受していくのみ。


来年以降、何らかの形でこの叡智を普及していければ、と
考えては、いる。






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2008年12月 1日 (月)

探求

それまでの手法の、抜本的な見直し。
それはひいては、それまでの僕自身を見直すことと
同じことだった。


何をしなければいけないのか?
何をする必要がないのか?

そういった諸々を、とりとめもなく思考する日々が
しばらく続いた。


いわゆる「自然療法」とされる手法は、基本に「自然治癒力」
という生命本来の働きを拠り所としている。

それは僕のような手技者でも同じこと。
「ゆがみを直す」のも、その目的はこの「自然治癒力」が働き
やすい身体に、という前提があるからだ。


どこかに「つまり」があれば、流れは淀む。

道路であれば車の流れは悪くなり、渋滞する。
河川も水質が濁れば、流れは悪く、毒素が増える。

人の身体も同様。
身体のどこかに「つまり」があれば、気血の流れが悪くなり
身体の秩序が乱れる。

だから、その「つまり」を除去することで生体内の自然な秩序
を回復しよう、というのが「均整」の発想。

そうすることで、その人本来の身体機能が発揮されやすくなり、
「自然治癒力」が引き出されてくるからだ。



それまでの僕は、相当に「技術」にこだわっていた。
というよりは、ある意味執着していた、のかもしれない。



「自然治癒力」の活性化。
よくよく考えれば当たり前なのだが……

これ、そういう「技術」でなくても、できるんだよ、ね。








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